あたり前のように在る、ということ― チェコガラスと、実感としての価値 ―
あたり前のように在る、ということ
― チェコガラスと、実感としての価値 ―
チェコガラスが、
簡単に作られている素材ではないことは、
以前から知っていました。
職人さんの数が多くないこと。
長い時間をかけて受け継がれてきた技術であること。
それらは、知識としては理解していたつもりです。
それでも最近、
いくつかの出来事をきっかけに、
「知っていること」と「実感として触れること」は
やはり少し違うのだと感じるようになりました。
頭では分かっていたはずのことが、
現実として、静かに輪郭を持ってきた。
そんな感覚です。
■ 形が受け継がれていく、ということ
チェコガラスは、
流行に合わせて次々と新しい形が生まれる世界ではありません。
長く使われてきたかたちがあり、
それが大切に受け継がれています。
一見すると同じように見える形でも、
色や光の入り方によって、
まるで違う表情を見せてくれる。
形そのものよりも、
重ねられてきた工夫や、
ほんのわずかな違いにこそ、
この素材の魅力が宿っているように感じます。
■ 「当たり前」だと思わないために
今ここに在るものが、
これからも、当たり前のように在り続けるとは限らない。
そう思ったとき、
目の前にあるガラスの表情や、
ひとつひとつの存在が、
以前よりも少し近く感じられるようになりました。
「当たり前ではない」と知っていたからこそ、
その価値を、
改めて受け取っているのかもしれません。
■ 記録として残す理由
この文章は、
何かを説明するためのものではありません。
制作の途中で、
ふと立ち止まったときに感じたこと。
素材と向き合う中で生まれた、
小さな実感の変化。
それらを、
記録として残しておきたいと思いました。
時間が経ってから、
また読み返したときに、
同じように感じるかどうかは分かりません。
それでも、
「今、そう感じた」という事実を、
静かに置いておけたらと思います。
Petite Rara

